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 ナンタケットバスケットとは

ナンタケットバスケットの歴史

なぜ、アメリカという国、ナンタケット島という場所で、このようなバスケットが生まれたのでしょう。

本物には必ず、それを裏打ちする歴史と伝統があるはずです。
そして、ナンタケットバスケットの歴史は、少し悲しく、そしてあたたかいものでした。

なんて小さな島

ナンタケットバスケットが生まれた背景には、まずこの島の地理が大きく関係します。

それでは、ナンタケット島がどこにあるのかを、まず確認してみましょう。
こちらです。まずはアメリカの全体像からの位置です。(出典:Google地図データ2007)


東海岸ですね。東海岸、というのが、まず第一のポイントです。
英国から最初に人がやってきて、アメリカが開拓され出したあたりです。
歴史が古い場所であるとともに、ヨーロッパ、特に英国の文化の影響が色濃いということですね。

それから、かなり北にあり、寒そうだな、というのがおわかりいただけるかと思います。
次に、少し拡大した図です。(出典:Google地図データ2007)


おわかりになりますでしょうか。
このちっちゃな島が、ナンタケット島です。
面積は、淡路島の4分の1弱、という小ささです。

そして、本土から約45kmという、微妙に離れた距離に、ポツンと浮かんでいます。
アメリカの誇る文豪メルヴィルは、この姿を称して「砂洲」といいました。
ほんとうに、そのとおりだと思います。

そしてこの微妙な距離が、この島独特の文化が育っていったことにつながっています。
昔は今ほど交通機関が発達していませんから、45kmといえど、地理的に隔離された環境であったわけです。

そんなちっぽけな島が、あるときを境に、劇的な変化を迎えます。

それは、捕鯨です。

捕鯨で栄えた島

18世紀には、人々はこぞって、クジラを捕りに行くことになります。
クジラからは、大量の油が取れます。
電気のない時代、当時は、ランプの燃料や工業製品の潤滑油に、クジラの油を使いました。
まだ石油が発掘される前の話です。

男たちは、一攫千金を夢見て、命がけでクジラを捕りにいきます。
一度航海に出たら、2年3年戻ってこない。ヤリで、モリで、クジラを射止めにいきます。
これが、18世紀から19世紀の捕鯨産業です。
(このあたりの話は、アメリカ文学最高傑作、メルヴィル「白鯨」に詳しいです。)

そして、その捕鯨産業の世界的な拠点となったのが、ナンタケット島でした。
クジラを狙う男たちは、まずナンタケットを目指しました。
捕鯨全盛期の18世紀から19世紀前半、ちっぽけなナンタケット島は、活気があふれ、たいへんな賑わいをみせたのです。
港が整備され、家々が立ち並び、経済が発展しました。

それが、石油の発見と捕鯨産業の終焉とともに、ナンタケット島の繁栄も、ピタリと終わりを告げます。
人々は島から去っていきました。
そこでナンタケット島の時代の流れが、ピタリと止まります。

街並みは当時のまま、進化するでもなく取り壊されるでもなく、残されました。
ただただ、島に残った人たちで、静かに時が流れました。

それが、ナンタケット島が、ほかのどの土地とも似ていない、独特の雰囲気であることの理由です。
(この島の魅力については、またおいおい語りたいと思います。)

第二次大戦後、この独特の文化、歴史的な街並み、美しい自然に魅力を感じたニューヨーカーたちは、観光で訪れるようになります。
しだいに別荘を建てることが流行り、ナンタケット島はお金持ちの高級避暑地として認識されるようになりました。

灯台船で編んだ、悲しきバスケット

話を19世紀に戻しましょう。

捕鯨が栄えた時代、多くの船がナンタケット島を行き交いました。
そうすると、何が必要になってくるかというと、船の安全、海の安全を守ることが必要になってきます。

そこに、たいへんな苦労がありました。
なぜかというと、ナンタケット島は、ほとんど砂洲のような地形であり、船が浅瀬に乗り上げやすいのです。
多くの事故があったそうです。

特に夜は、電気のない時代、
今のように電気の灯台が海を照らしてくれることもありませんでした。

そこで昔はどうしていたかというと、明かりを灯したボートをあちこちに浮かべて、それで船を誘導していました。
それを、「灯台船(Lightship)」といいます。
その灯台船の乗組員たちが生みだしたものが、ナンタケットバスケットなのです。
ですからナンタケットバスケットは、正式には、「Nantucket Lightship Basket」といいます。

"Light"だから、軽いって意味か、と思われがちなんですけれども、違うんですね。

灯台船の仕事は、寒さや孤独との戦いであり、たいへん過酷なものでした。
今でいうノイローゼになる人も多かったと、文献に記されています。
(ちなみにナンタケット島は、緯度でいうと北海道くらいのところにあります。)

彼らは、慰みに、先住民(アメリカインディアン)たちのかごを真似て、船の上でバスケットを編み始めました。
もともと、クジラの油を入れるための樽づくりで、彼らには木工の素養があったのです。

そのバスケットは、島内で、ベリー摘みなどに重宝されるようになりました。
そして、より便利に、みなに使ってもらえるようにと、編み方も進化していきました。
ナンタケットバスケットが、ただ美しいだけでなく、実に機能的であるのは、このことからきています。

灯台船の時代が終わりを告げてからも、バスケットはナンタケット島の誇りとして、静かに受け継がれていきました。

そして第二次大戦後、ナンタケット島が高級リゾート地として知られるようになるとともに、ナンタケットバスケットは「知る人ぞ知る名品」として、アメリカやヨーロッパのセレブリティに愛用されるようになったのです。

欧米では、高級品であるナンタケットバスケットを所有することは、上流階級のシンボルとされています。
ニューヨークでは、毛皮のコートとあわせて持つことが許される、唯一の「かご」とされています。
オードリー・ヘプバーンやジャクリーン・ケネディも、ナンタケットバスケットの愛好者として有名です。

・・・だいたい以上が、ナンタケットバスケットの成り立ちについての大まかなところです。
ナンタケットバスケットは、たいへん奥深く、そして少し悲しい、歴史に裏打ちされた美しい品なのです。

さて、続いてが核心です。
ナンタケットバスケットのつくり、どんなつくりをしているのか?
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